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「薮医者の遠吠え」②~今医療現場で起こっていること~

 (この記事は2007年4月22日に公開された記事を再度掲載するものです)

最近の大きな社会問題の一つに、産科医と小児科医が全国的に足りないという事が、話題になっている。 しかし、政府は “医師の数は足りていて、地方に行かず都会に集まるための偏在と、科ごとの医師の偏在のためにこの問題が起きている” と、国民に説明している。

 本当にそうなのであろうか?

 この説明が間違いである一つの証拠を皆さんに提示しよう。 平成19年4月から、厚生労働省は、医師の資格を国民に確認しやすくするために「医師等資格確認検索」と言うホームページを立ち上げた。 早速、私は自分の名前を確認してみた。 すると、全国に私と同姓同名の医師が、私を含め3人存在した。  ついでに、妻の父を検索してみた。 名字は滅多にないもので、名前も男としては変わっている。 すると1人出てきたではないか。  しかも登録された年が、昭和15年。 正しく、義父その人である。 しかし、義父は亡くなって10年以上経っている。 ちょっと変だ。 疑問を感じたので、亡くなった同期生の医師12名を検索してみた。 するとそのうちの4人もが、検索されたではないか。 つまり、私の周囲の5人の死亡者が、まだ医師として登録されているということである。

 どのように厚労省が医師の数を把握しているのか分からない。 何故分からないのかというと、厚労省がきちんとした数字を出さないためである。 しかし、病気をして働いていない医師も、高齢で現役を引退した医師も、基礎医学を教えていて臨床医として働いていない医師も、全て現役の医師としてカウントされている。 その上、結婚して家庭に引っ込んだ女医も、産休・育休で休んでいる女医も、全て1人の医師として数えられているのである。 厚労省が「医師は足りている」と言うときは、分母は別の統計資料からとっているのかもしれない。
それにしても政府が公に発表する資料に、幽霊医師が含まれている。 この世知辛い世の中、医師はあの世でも働かされるのであろうか。
                       (藤田 9組)

地 震

10組 吉成です。今朝の地震報告です。

当方大阪府豊中市内アパートの12階。

地震発生時パソコンで仕事していたのですが逃げる暇も無い、いきなりの激震。

私はパソコンラックと背後から倒れてきた本箱に挟まれ自力では抜け出せず家人に引っ張り出してもらいました。

全ての部屋の棚が倒れ食器の類は大方破損しました。

午後7時現在ようやく片づけも一段落したところです。

(吉成 10組)

s-地震_01

60年前の札幌市の中体連のバスケットボール大会のプログラム

ブログ編集部に、5組佐藤(大)君から、60年前の札幌市の中体連のバスケット
 
 ボール大会のプログラムが送られてきたので紹介します。
 
 正確なタイトルは、「第13回札幌市篭球競技大会プログラム 1959. 9」。
 
 1959年=昭和34年、僕達の中学3年秋の大会です。
 
 昔懐かしいガリ版刷りのプログラムをめくると、懐かしい同期生や後輩、体育関係の恩

師の名前が次々出てきて、飽きることがありません。
 
 (ブログ編集部記)
札幌中体連1959年パンフ06152018

ここをクリックして11ページのプログラムをご覧下さい。

コントローラ画面を表示して右から3番目のズームをクリックすると拡大表示できます。
コントローラ

思い出のスター ライザ・ミネリ

キャバレー(1972年、監督:ボブ・フォッシー、写真:ライザ・ミネリ)ライザ一世一代の当たり役。1929年頃のベルリン、頽廃的な世相の中ナチが抬頭しはじめる。
キャバレー(1972年、監督:ボブ・フォッシー、写真:ライザ・ミネリ)ライザ一世一代の当たり役。
1929年頃のベルリン、頽廃的な世相の中ナチが抬頭しはじめる。

ラッキー・レディ(1975年、監督:スタンリー・ドーネン、写真左から:ジーン・ハックマン、ライザ・ミネリ)禁酒法時代、大組織に対抗する三人組。
ラッキー・レディ(1975年、監督:スタンリー・ドーネン、写真左から:ジーン・ハックマン、ライザ・ミネリ)禁酒法時代、
大組織に対抗する三人組。

ニューヨーク・ニューヨーク(1977年、監督:マーティン・スコセッシ、写真左から:ライザ・ミネリ、ロバート・デ・ニーロ)1945年夏のニューヨーク、歌手とサックス吹きとの出会いと別れ。
ニューヨーク・ニューヨーク(1977年、監督:マーティン・スコセッシ、写真左から:ライザ・ミネリ、ロバート・デ・ニーロ)
1945年夏のニューヨーク、歌手とサックス吹きとの出会いと別れ。

ミスター・アーサー(1981年、監督:スティーヴ・ゴードン、写真左から:ダドリー・ムーア、ライザ・ミネリ)女優志願の万引き娘に一目惚れした大富豪の御曹司。
ミスター・アーサー(1981年、監督:スティーヴ・ゴードン、写真左から:ダドリー・ムーア、ライザ・ミネリ)女優志願の
万引き娘に一目惚れした大富豪の御曹司。

(井口記 6組)

第30回「在原業平」

在原業平 いとあはれなる歌と人生㉚ 別れの歌…その1
今ぞ知る 苦しきものと 人待たん里をば離(か)れずとふべかりけり
「古今集」巻18雑歌下の歌である。この歌には、「紀利貞が阿波・徳島の国司に任命され赴任するにあたり、送別の宴を開こうと待っているのだが、あちらこちらへ別れの挨拶回りをしていて、夜遅くなってもやってこないので、使いの者に早く来るよう歌を持たせて催促に行かせた」という詞書がついている。

紀利貞は『古今集』に4首採取された歌人である。業平は紀有常の娘を妻とし、同じ和歌グループを形成していたが、同じ紀氏でも有常と利貞は血縁的に隔たっており、別な和歌グループに属していたとされる。従って、業平と利貞の交友は在原氏と紀氏という氏族同士の結びつきではなく、気の合った歌人同士の友だち付き合いであったようだ。

紀利貞という人は、送別・餞別の歌が得意だったようで、『古今集』巻8離別歌に「貞辰親王(さだときのみこ:清和天皇の皇子)の屋敷で、藤原清生(ふじわらのきよふ)が近江の国司に赴任する際の送別の宴で詠んだ」との詞書がついた、「けふ別れあすはあふみと思へども 夜やふけぬらん 袖のつゆけき」の歌が採取されている。この歌で利貞は、「今日別れてあなたは明日近江の国に行かれるが、京と近江ならば今日別れても明日会えると思うけれど、夜が更けるにつれ袖が露(涙)にぬれ、重くなっていくようです」と、「近江」と「逢ふ身」の掛け言葉を軽妙に折り込んだ歌を贈っている。こうした軽妙な歌風から、利貞は宴席に欠かせない存在であったようだ。

さて、業平の歌である。この歌もまた業平お得意の倒置法が用いられている。上の句で「いま知りました。人を待つということが、こんなにも苦しいということを」と、まず待ちぼうけを食わされた嫌味をチラリと言っておいて、下の句では「妻が待っている家をこまめに通っておくべきでしたよね。お互い思い当たる節があるでしょう」と、かつて妻を放ておいたことを思い出し、「お互い若い頃は罪つくりなことをしたもんですなー。あなたを待ちながら、そんな昔のことを思い出しましたよ」と、それとなく早く来るよう催促している。業平と利貞の気の置けない間柄がよく伝わってくる歌である。

それにしても、なんとも老練な、余裕綽々の詠い振りである。『古今和歌集目録』によると、利貞が阿波の国司に任命されたのは元慶5(881)年2月とされる。しかし、業平は前年に世を去っている。元慶5年というのが単純な記述ミスなのか、利貞がそれ以前に阿波の国司を歴任していたのか、その辺の事情はよくわからない。それはともかく詠い振りから推し量って、業平の晩年の官位も役職も高くなってからの歌と思われる。

この歌は『伊勢物語』第48段に登場する。「昔、男がいた。送別の宴を催したが、主客がなかなか現れないので、この歌を詠んだ」とあるだけの、そっけないものだ。違いと言えば、『古今集』が利貞に早く来るよう催促する歌であったのに対し、『伊勢物語』では主客を待つ同僚たちの心をいさめる場つなぎの歌に変わっている点であろう。

在原業平 第30回 写真 06082018

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札幌南高43期の癌専門医の情報

先日、東京六華同窓会2018に参加したところ、プログラムの近況報告を兼ねた
協賛広告欄に貴重な情報が載っていたので、紹介します。
下記が、国立がん研究センター東病院に勤務する札南43期の古川孝広医師が同窓生に
相談可能ですと告知している記事です。 

南43期-古川孝広医師 Blog 06032018

古川 孝広(医師・医学博士)略歴
現在 国立がん研究センター東病院 先端医療開発センター 新薬臨床開発分野 乳腺・腫瘍内科 腫瘍内科医 
第2回リレー・フォー・ライフ/マイ・オンコロジー・ドリーム奨励賞受賞(2011年度)
2000年札幌医科大学卒業 第四内科に所属となり、以後血液ならびに消化器領域の薬物治療の研修を
行った。2007年に札幌医科大学大学院医学研究科を卒業となり、以後は北海道におけるがん薬物療法
の診療に従事していた。特に乳がんや泌尿器がんの腫瘍内科医としてのキャリアを進めていく中で、
がん薬物治療の開発として臨床試験に対する方法論の習得、新規抗がん剤の開発治験に興味を持った。
日常臨床の中で最も開発の進む癌腫の一つである乳がんを対象として、米国MDアンダーソンがんセン
ターでの研修を目指し、2010年マイオンコロジードリームアワードに応募し、受賞となった。
 世界最先端と称されるこの施設での研修をもとに、日本での新規抗がん剤の開発に従事すべく2014年10月よ
り、国立がん研究センター東病院での診療を開始し、先端医療科/乳腺腫瘍内科を兼務し、乳がんを
中心とした第1相臨床試験を行っている。現在は乳がんに対する免疫療法の新規薬剤開発、免疫モニ
タリングの臨床研究などを行っている。
(佐藤記 6組)

Appendix

プロフィール

札幌南高校を1963年に卒業した13期東京同期会の仲間の交流の場として2006年12月に開設



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